万の道、万のプロを訪ねて Vol.9
Creationlineでは、魅力的な人がたくさん働いている。僕は顧問ではあるのだが、大して時間を使っているわけでもないし、考えてみると、彼ら彼女らの事を知っているようで良く知らない。なので、今回は身近な人をという事で、そんなCreationlineの魅力的な変人達の中から、鈴木逸平さんに白羽の矢を立てた。
逸平さんは、Creationlineで渉外担当とでもいうべき存在である。ロサンジェルスに住んでおり、アメリカのテックの様子を日本に伝えたり、アメリカのベンダーと交渉したりするのが主な仕事。僕が逸平さんと知り合ったのも、当時僕がやっていたCloudBeesとリセール関係を構築しようとして事務所にお越しいただいたのがきっかけだった。
標準化の仕事
LAに住み、一人ぽつんと8つのタイムゾーンを隔てた日本の会社で働き、それで存在感を示すというのはただ事ではない。一体、人生何がどうなって、ここへ至ったのだろうか。
逸平さんは早稲田大学を出て、日立に就職して...という、そこまでは日本の若者の典型的なルートを歩んできた。道が切り替わったのは、Bostonに出向して、Unixの標準化に携わるようになってからの事である。
標準化というのは、技術者の仕事の中でもちょっと特殊である。この仕事について、その面白さ、やり甲斐については、第7回の村田さんの記事で詳しく書いたので、ぜひちょっと読んでほしい。
標準化の仕事は、しゃべる力が大事な仕事だ。英語が苦手だと議論が難しく、どうしても不利である。逸平さんに言わせれば「日本人は紳士だから立ち向かえない」。落とし所を探ったり、合意形成をしたり、繊細なコミュニケーションが必要なのだ。僕もアメリカに来てすぐに標準化の仕事に携わったが、電話会議で割り込んで話すのが難しくて、苦労した記憶がある。逸平さんは子供の頃7年もニューヨークに住んでいたとの事で、アクセントのない英語を流れるように話す。なるほど、この仕事を任されるのも自然な流れだったのだろう。
Unixの標準化をしているのだから、勿論技術のことが分からないと務まらない。他方で、標準化の仕事の本質は交渉である。コードをバリバリ書くとか、特定の技術に精通するとか、そういう純技術者的スキルは身につかない。ここで標準化のプロになる道を進んだのが村田さんだが、逸平さんは、ここから営業へ転向するのである。
営業の仕事
時はちょうどITバブルの頃。生体認証が出始めた頃で、それが当時の逸平さんには面白く感じられた。日立にいるままだと、いつかは日本に呼び戻されるだろう。元々子供時代にアメリカで過ごしたという事もある。小さい子供も二人いたが、軽い気持ちでアメリカに残ろうという決断をした、という。
後から見てみると、これが人生の一大転機になっているのだが、当時の逸平さんの立場と決断への過程を想像しようとしても、どうにもピンとこない。ご本人もそんなにハッキリとは覚えていないように感じた。でも、人生、往々にしてそんなものである。将来のことを入念に、慎重に考えて選んでもしょうがない、というのが僕の持論である。バカの考え休むに似たり。
今の逸平さんは、お祭り騒ぎを探し当て、その真ん中にいつもいる人である。その嗅覚、新しもの好きさ、好奇心の強さには、本当に頭が下がる。営業への転身は、そんな逸平さんらしさを感じるエピソードの一つである。
営業にも色々な種類の仕事がある。逸平さんの分野は、大きなビジネスを時間を掛けて釣り上げる、マグロの一本釣りのような戦略営業である。例えば、アメリカ空軍に生体認証のシステムを売り込む。長い時間をかけて、多くの関係者の利害をかき分け、ディールにたどり着く。うまくいけば何億の話になったはずだ。営業は水物なので、思わぬ横槍が入ったりしてうまく行かない時もある。海外の商談では袖の下や、今の時代だと倫理的にどうなの...というような仕事もあったらしいが、それ以上聞いたらヤバイと思い、深入りを避けた。
営業の大事な技能の一つは、モノになりそうな商談とモノにならなさそうな商談を早いうちに嗅ぎ分ける力である。釣れないマグロに時間を使ってもしょうがない。逸平さんは、アジア人である事の難しさ、平たくいえば人種差別を、この嗅ぎ分けに活用したという。
逸平という名前。アメリカ人には馴染みのない覚えづらい名前である。でも、そういう名前を敢えて覚えて使ってくれようという人がいれば、関係性を築こうとしてくれているんだな、という事がすぐにわかる。マグロ一本釣り営業は、どれだけの人間関係を築けるかに成否が掛かっている。この辺は、実は標準化の仕事も非常に似ている。チームワークでなく、一人一人が別な仕事に立ち向かう孤独な仕事だ、というのも似ている。
なるほど、そうして考えると、逸平さんのキャリアに一つの筋が通っているのが見えてくる。
僕自身、若い頃は、アメリカは合理的で論理的な国で...と思い込んでいた。しかし、こっちで20年暮らして、全然そんな事はなく、物事は人と人との繋がりで進んでいく、とってもウェットな国であるという発見をした。なんのことはない、人を動かすものは洋の東西を問わず変わらない。ただ、この国で周りの人とウェットな関係を作るには、英語を高度に使える必要があるし、アメリカの文化をちゃんと知っている必要がある。それが新参者には難しいのである。
だから、もっと多くの人に、日本からこっちへ来てほしいと思っている。文化は、中に入らなくては吸収できない。
物語化の力
何か新しい現象、例えば今ならAIについて、自分で調べる。そして、その調べた範囲で、これはこういう意味の現象であり、こういう歴史・文脈の上に起こっており、未来はこうなっていく、という物語を自分で構築する。そして、それを伝える。僕は物語化と呼んでいる。これを逸平さんほど簡単そうに、次々にやってのける人を僕は知らない。
逸平さんは、Creationlineの社内で一人アメリカ在住であり、仕事はアメリカの会社と交渉したり新しいビジネスを開拓する仕事である。そういうユニークな立場を利用して、「今アメリカで起こっている事」という形で、物語化の力を遺憾なく発揮しているのを何度も目にした。
なぜ、物語化の力が大事なのか。逸平さん自身も言っていたが、「ただファクトを並べてもしょうがない」のである。それでは限られた時間の中で人に何かが伝わらないからだ。
僕自身、会社の外へ向けて会社の事を発信したり、逆に外で見聞きしたことを社内に伝えるのが大事な立場で働いてきた。だから、こういう物語化の力を身につけたいと常々思ってきたが、とても難しいのである。
一つは、現実は複雑で、調べれば調べるほど、簡単な物語になるのを現実が拒否するからだ。例えば、善人について調べていくと、影の部分もあるという事が分かったりする。すると、手放しにその人を善人扱いできなくなる。
じゃあ、ちょっとしか調べていない範囲で物語を作ってしまえばいいかというと、そうも言えない。間違った物語を作ってしまいがちになるからだ。自分の言ったことが後で間違っている事が分かったら恥ずかしいではないか。
そして、物語には自分らしさ、ユニークさ、面白さがなくてはいけない。同じ現象を見て他の人が作った物語と同じことを繰り返してもしょうがない。でも、何かについて調べていくと、他の人がその事について既に作った物語を自然と見聞きする事になるから、なかなかユニークな自分らしい物語を作れなくなってしまう。
そんな感じで足がすくみ手が止まり、僕は中々社会現象を物語に出来ないでいる。皆さんも大なり小なり同じような悩みを持ってはいないだろうか。ブログを書きたいけど書くことがない、とか。だから、物語化の力について逸平さんに色々疑問を投げかけてみた。
逸平さん曰く、「渦中の人かのようにしゃべる」のが、ポイントの一つらしい。なるほど、自分を物語の外においてはいけないわけか。それはそうだ。僕は常々、自分の話をするのがいいな、と思ってきた。どうしたって自分らしく、ユニークな話になるから。それと合い通じるものがあるように感じられた。
後で間違っていたと分かったらどうするの?という問いには、世界は常に変化しているから、物語だって常に変化していて当然です、との事だった。確かに、間違っているかもしれないから、下手だから、恥ずかしいからと尻込みをするのは良くないと常々思ってきた。同じことだった。むしろ、新しい知識が入って、新しい物語が出来たなら、それを最新情報のアップデートとして話せば、ダブルでアウトプットが出来てしまうではないか。なんと素晴らしい。
できるだけシンプルに説明できないか、それは考えて大事にしているそうだ。シンプルである事は大事なので、そのためには細部やニュアンスが犠牲になってもいい、そういう風に思えばいいということか。シンプルな物語から抜け落ちたものについて考え悩むのは、まずベースになるシンプルな物語を伝えた後での事だ。
間違えないように慎重に慎重に調べ、確実に言える事しか言わない、というのは学問の世界では知的に誠実な態度であるけれども、ビジネス...というか社会一般においてはマイナスの面が結構あるなと思っている。この話を参考にして、もうちょっと積極的に物語化をしていきたいなと、改めて思った。
信仰
逸平さんは、余計な心配はしないのだと言っていた。僕も、それはとても大事にしている。自分の制御が及ばない事とか、人間関係のように正解のない事とか、未来のように自分の理解が限られている事についてあまり考えてもしょうがない、というのが僕の持論である。しかし、心配している人に心配しないでといって心配が止むかというと、そんな事はない。誰だって心配したくて心配しているわけじゃないからだ。
逸平さんの「余計な心配をしない」楽天性は、根本的にはキリスト教への信仰から来る、という事だった。最後は天命に任せる、そういう風に僕は理解した。対談の最後にポッと出てきたこの話が印象に残った。不安にならずに生きていけるからこそ、こういうキャリアを作ることが出来たのだろう。
思い返せば、この連載で話した人の多くは、同じように「心配しない」人々であるようだ。そのほうが絶対得なのにな...。やっぱり難しいのかな...。それともサバイバー・バイアス?
より多くの人がそんな生き方を出来ますように。