万の道、万のプロを訪ねて Vol.8
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近藤佑子さんの、人としての輝きを言葉にしたいなと思ったのである。僕の感じる敬意を表現したい。なぜなら、近藤さんの輝きを構成する要素が、凄さが、こだわりが、僕が大事にしたい事、こだわっている事とそっくり瓜二つだからだ。
だから、僕にとって、近藤さんは、ライバルであり、憧れであり、ロールモデルである。あくまで一方的に思っているだけだが。そんな精神的双子みたいな人と対話し、自分自身に感じている疑問をぶつけてみたら、新しい発見があるかもしれないなという期待もあった。
そんな下心をもって、四谷の翔泳社を訪れた。
多様な趣味
近藤さんの趣味の幅は広い。そして、そのそれぞれについて、言語化して発信していて、次に何をしたいという明確なリストがある...ように外からは見える。その好奇心と探究心の量は、圧倒的である。
洋裁。十代の頃、ミシンで服を作ったりしていた。大人になってまたやってみたら面白かったそうだ。まず、リズミカルに落ちていく針に集中し、没頭し、他のことを忘れるというのが楽しい。気がついたら午前四時だった事もあると言っていた。今着ている洋服は自作したのですと言うと、初対面の人とあっという間に話が弾むのが気に入っている。今は人の型紙をベースに作っているので、次は型紙自体を自作してみたい。そのためにCADソフトで...と夢が広がっていく。なにそれ、凄そうと思った人は、これを読んでうわーっとなってほしい。
自転車。東京ではずっと電車と徒歩で生活してきたが、徒歩圏の街の散策に飽きてきた時に、自転車をと思った。自転車も、乗って漕いで移動するという行為そのものが楽しい。そして、自転車は行動範囲が広い。普段行かない目的地に行けるようになる。一回のおでかけで20km位乗るそうで、これは自転車が好きな人の走行距離だと思っている。この趣味のために独自ドメインでブログまで書いている。うわーっ。
村田さん一派は「悪の秘密結社」を名乗っていて、まあシンパは国内に多かったが、世界・業界の要所要所に少数ながら影響力の大きい仲間も一定数いた。タイ在住の仲間をバンコクに訪れた事もある。そういう、世界を股に掛けた仕事に関与できるというのが若かった僕にはとても刺激的だった。この時の仕事が、僕がアメリカに渡る切っ掛けになっている。
しかし、こんなのはここ最近の趣味の一例に過ぎず、近藤さんのブログを見ると、趣味の百貨店といった様相である。美容、ダンス、食事、バンド。
何にでも手を出せる自由さがいいな、と感じた。世の多くの人は「自分らしさ」「自分の好み」というものを規定していて、それに沿わない事には最初から手を出さない、ように思える。自分を守っている。僕だってそうだ。が、最近そうやって何かを守るのを止めたいと思っている。積極的に恥をかくことに挑戦しようと思っている。結果として、結構趣味が広がった。
でも、近藤さんには、「自分らしさ」への破壊衝動は感じなかった。むしろ、例えばダンスをする時、美しさ・経験の長さ、そういうものでは叶わないなと感じた時、どうやって独自性を出すか、そういう話をしてくれた。つまり、自分らしさを大事にする。また「近藤佑子」というキャラに合わない趣味は、Twitterのアカウントを分けたりと「別人格」に切り出して追求しているものもあるそうだ。確かに、「近藤佑子という人格」には仕事人が含まれているから、それとは分けておきたい、と思うものがあっても不思議ではない。
でも、こんなに自由で我が道を行き、やりたい放題やって世の中から評価されている人であっても、他人からの目線から逃れることは出来ないのか...とちょっと寂しい気持ちにもなった。もっと、俺らの分まで自由に生きてくれよ!みたいな勝手な期待があったのかもしれない。
もう一つ面白かったのは、「私は飽きっぽいので」と言っていたこと。飽きてもいい、と思っているから、新しいことに手を伸ばしやすいのかもしれない。飽きてほっぽらかし、しかしまた機が巡ってきて何かを気軽に再開する事も多いそうだ。そうか、飽きてもいいのか。それはとても自由だ。真似したい。
翻ると、僕はずっと続けていける事が特技である。プログラミングもそうだが、自転車も最初は小さく初めて、しかしずっと続けていたら二年経って一月1000km位乗れるようになった。水彩画も描き始めて150枚描いた。やっていく、その中で面白さを感じる、疑問を持つ、その疑問を手掛かりに掘っていく、そういう風にして続けていく、とにかく続けていくと少しずつ、しかし着実に改善する、そういうのに喜びを感じる、それが得意だ。でも、始めたら続けたいから始められない、そういうのは知らず知らず足枷になっていたかもしれない。
好奇心の貪欲さ、というのは我々の共通点のように感じた。これもやりたい、あれもやりたい、というのが無数にあって、とにかく時間が足りないように感じるという。
仕事
近藤さんの仕事について語るためには、その過激なスタート地点から始めねばなるまい。「メチャクチャにヤバイ就活生・近藤佑子を採用しませんか?」。画一性が息苦しい日本の就活にあたって、これを見て溜飲を下げる人は多いと思うし、こういう輝きを評価してどこかに入社が決まってくれたら...と思うのだが、実際にはそうはならなかったそうだ。日本、残念すぎる。最終的に入社を決めたのは翔泳社。
「面白さ」を志向していく近藤さんは、学生の時からすでにツイッターで面白い人達に繋がっていて、その面白い人達というのはエンジニアの人が多かった。そういう縁で、エンジニア・コミュニティの中に居場所が出来ていく。だから、翔泳社の基幹イベントの一つであるDevelopers Summit(デブサミ)を、誰か次の人に引き継がなくてはいけないとなった時に、近藤さんが手を挙げたのは自然な成り行きだった。
何かの機会が巡ってきた時に掴めるのは素晴らしい事だ。頭の良い慎重な人ほど、自分の出る幕ではないと思って人に機会を譲ってしまう事が多い、ように感じる。私見では、女性に多い。勿体ないのである。結局、人間は機会によって成長する。だから、準備が出来てから自信を持って手を挙げようと思っていると、何時まで経っても手を挙げる事が出来ない。
近藤さんがデブサミを手掛けて三年経った頃、デブサミとは何なのか、ミッションをちゃんと言語化した。もっとこうだったらいいな、という思いを実行に移したりもした。コロナ禍という変化球もあった。もともとイベントづくりも好きな人だ。がむしゃらにやったら、それなりの手応えを感じて、成果が出たと言う。
僕はデブサミには一講演者として何度か関わった。そして、デブサミというのは、人の繋がりで回っている場だという印象を強く受けた。僕が参加した最初のデブサミの、講演者・主催者のための打ち上げの時の事だ。当時、デブサミを仕切っていたのは岩切さんであった。岩切さんが何か簡単なスピーチをした時の、会場の人からの温かい親しみのこもった反応。みんなの岩切さんに対する愛を感じた。それから時が経ち、近藤さんの代になっても、その時の印象は続いたままだ。
企業が主催しているイベントに、こんなにはっきりした「顔」があるのは、とても珍しいことだ。素敵だな、と思う一方、人のカリスマで回す難しさについて、自分の体験した事を考えた。
僕はJenkinsという巨大なプロジェクトの創始者で、後継者探しには苦労したのである。自分が重力の中心になって回っているものを、人に引き継ぐ。創始者としては二代目に色々注文や心配もある。逆に、二代目としては、自分の信じる事をやるためには創始者と意見が衝突することもある。自分と同じような人を探してはいけないし、後継者が今までとは何か違う道を模索してくれるはずだと信じて選んだなら、細かい事には口を出さずにある程度距離を置くのが一番良い、僕はそう思っていた。
岩切さんと近藤さんは創始者と二代目ではないそうだが、二人共このイベントに自分の色を付けてきた人達だなと思うし、だからお互いのやり方に色々思うところがあるはずじゃないかと、僕は思う。でも、実際の二人からはそういう緊張感は全然感じない。とても仲睦まじく、互いへの大きな敬意を感じる。これはどういう事なのか。リーダーシップのあり方について考えさせられた。
近藤さんの今の仕事は、CodeZineの編集長である。CodeZineでは若手の育成が面白く、それをきっかけに、今度は早期離職を防ぐためにも社内での相談場所を増やそう、コーチング・メンタリングをしようというプログラムに関わっているとの事だった。デブサミもずっとやっていくのかと思ったら、そうではなく、これも次の人へバトンを渡していきたいらしい。
ジェネラリストというのは、こういう風に育つのか、と思った。日本の会社で働く人には当たり前なのかもしれないが、僕自身専門職で育ったので、こんな風にして、編集、マーケティング、人事の仕事を渡り歩いていくというのはとても新鮮だった。
掘っていく人と、偉くなる人、キャリアパスには2つある。近藤さんの場合、こんなに掘っていける人が、偉くなる人でもあるという...。
野心
近藤さんからは、これもやりたい、あれもやりたいという熱意が溢れ出ていた。
仕事では、デブサミを引き継ぐ。翔泳社の色々な資産を組み合わせて新しい価値を作る。メンタリングをする。会社の中でそういうプログラムを作る。色々な機会が見えているのが素晴らしいし、それを自分で出来そうだという自信も素晴らしい。上司としては、何かをやりたいという部下に任せたい。だから、僕が近藤さんの上司だったらホクホク顔である。
そして、趣味を副業というレベルに引き上げたい。洋裁なら作ったものを売るということであろうし、ダンスならパフォーマンスにお金を取るという事であろうか。自転車は...ちょっとわからない。お金を稼ぎたい、という事ではなくて、世界に役に立っている、という証として。
自分が面白いだけでいいのか。世界に何かを残したい。近藤さんが考えているのはそういう事だ。
野心だ。人生に脂が乗っている人の言葉だ。そういう歳だよね。自分に自信も付き、やる事により大きな意義を求めたい。野心というのはカッコいいなと思った。未来が前にある人の言葉。
翻って、自分はそういう色々な目標を立てるという事からちょっと後退しているかもしれないなと思った。自転車にしろ水彩画にしろ、やっていく過程に面白さと手応えさえ感じ、小さな目標さえ立っていれば、その連続でどこに辿り着くかは別に事前に分からなくてもいいやと思うようになった。僕ももっと野心を持とう。そしたら、もうちょっとカッコよくなれるのではないか。
書くという事
近藤さんは、書くという事をとても大事にしている。アクティブなブロガーである。ここ最近は一段落しているように見えるが、毎日一記事投稿、というのをやっていた時もあった。
言葉が得意だ、と言う。昔から褒められることもあり、手応えがあった。そして、インターネットがやはりよかった。書いたものを発信し、それに反応を得られる場として。書くということは、考えるということである。それは自分との対話でもある。だから、何かをやってみたら、それについて書くというのが理想形である、と言う。書くことで、やった事に意味が生まれる。
だから、鮮度が高いうちに書かないといけない。その時の感覚が出てこなくなってしまうから。でも、昔のようなペースでそれをやっていくには、時間が足りない。そういうのが悩みのようだった。
書くことについては、僕も全く同じように感じている。
僕の場合は、CTOという仕事を始めたことが、書くことに力を入れるきっかけになった。多くの人に影響を及ぼそうとすれば、方法は2つしかなくて、書くかプレゼンするかだ、というのが持論である。それまではコードを書いていたわけだが、自然言語の方に軸足がだんだん移った。やっていったら面白くなり、前よりは上達した。
子供の頃は、作文なんかいつも苦労して、読書感想文とか言われても、頭の中に別に何も感想がないので、それを取り出しようもないんだよな...などと思っていた。今にして思えばあれは壮大な勘違いで、書くという行為の中で感想が生まれるのである。全く逆。そんな僕も、今は書くことが好きで、だからクリエーションラインでもこの対談シリーズを勝手にやっている位だ。もう、書かないでは考える事の出来ない体になってしまった。
一方で、この強大な力のせいで、書くことによって書かれた事象の記憶が変質してしまう、という事もあるな、と思うようになった。例えば、この文章。僕がこうして近藤さんとの対談を言葉にしていくと、あの時間のある部分が強調され、他の部分が落とされ、僕の中での近藤さんの像が、あの対談の印象が、着実に変化していく。印象、後味といった繊細なものが、失われていく。人間のように言葉で規定しきれないものから、そういう曖昧さを消し去ってしまっていいのだろうか。言葉の乱暴さ。
そういう事について近藤さんと話した。
鏡
近藤さんとの対話は僕にとっては非常に楽しかった。思っていることが似ているから、その中の小さな違いから色々なことを考える事が出来る。自分の、自分に対する理解が深まる。
そして、問題意識が近い聞き手だからこそ、こうして話を引き出す過程で、近藤さんの自分に対する理解も深まっているといいなと思った。
自分の思っていることを喋って、相手に何かの理解を深めさせる「教える」行為。その上位版として、相手に喋らせて、相手に何かの理解を深めさせる「気づかせる」行為。
気づかせる事が出来るようになったら、僕のインタビュアーとしてのレベル...というか人間としてのレベルも一つ上がったと言えよう。よし、次のゴールはそれだ。野心を持つぞ、野心を。