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万の道、万のプロを訪ねて Vol.7

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技術者の仕事は実は本当に多様である。今日は、多くの技術者とは一線を画す領域・働き方をしている村田真さんを訪ねた。

村田さんのライフワークは、構造化文書に関わる規格の標準化である。構造化文書と聞いてもピンとこない人もいるだろう。文章と言えば読めればいい、だから極端に言えば画像でいいじゃないかと思うかもしれないが、そこからテキストを取り出そうとか、目の不自由な人が音読出来るようにしようとか、そういう事を考えていくと、やっぱり文章の構造をコンピュータで取り扱えるようにしたほうがいいんだ、という考えに辿り着く。これが構造化文書である。

そして、文書というのは作るのに大きな手間が掛かり、長く残ったり広く流通したりするものである。だから、特定ベンダーの独自フォーマット上で作ってしまうと、そのベンダーにロックインされてしまう。だから、標準化してみんなで共通のものを使えるようにしたい。そういう力学が常に働く。

それが構造化文書の標準化。

村田さんの仕事の守備範囲は広い。まず、文字がないと文章が書けないので、文書の標準化の一番底にあるのは、文字をどうコンピュータで表現するかという話。村田さんはこの界隈にも関与していて造詣が深い。もうちょっと文書っぽくなってくると、XML規格の制定にも関わっている。超大ヒットしたのはいうまでもない。そこから、電子出版規格のEPUB、アクセシビリティ、色々と続いていく。みんな普段気に留めないが、毎日使っているものを作り、メンテしている。道路や地下鉄といったインフラ作りに近いかもしれない。

26の時からずっと構造化文書の分野に関わろうと決めて、以来40年近く、この分野にずっと取り組み続けているという事だ。流行り廃りの激しいこの業界で。僕は、次から次へと鮮やかに流行り物を乗り換えていく嗅覚の鋭い人も尊敬するが、村田さんのように、自分の領域をずっと深掘りしていける一徹の人の方がもっと好きなのである。

村田さんとの関わり

村田さんは、僕にとって個人的な大恩人でもある。僕は当時大学生だった。XMLに関する卒業論文を書いたので、どこかに発表してこいと担当教官に言われ、大阪で開かれていたXML開発者の日というイベントに何となく参加した。

当時、村田さんは既にXMLの規格策定を終えた後で、XMLが時代の寵児になるに伴って大きな影響力を持っていた。XMLを作った後に村田さんが目を付けたのは、スキーマ言語というXMLの大事な周辺規格の一つだった。XMLを標準化した団体であるW3Cが、スキーマ言語の標準化にも取り組んでいたのだが、技術的な醜さに嫌気がさして、もっと美しい別な規格を独自に策定し、RELAXと名付けてこれを広げようという取り組みをしていた。この二日間のイベントも、その一環であった。

僕はそんな事情は全然露知らず、しかしこの大阪のイベントで、すっかり村田さん一派に取り込まれ、気が付いたら、嬉々としてW3Cと戦うRELAX反乱軍の一員になっていた。

村田さん一派は「悪の秘密結社」を名乗っていて、まあシンパは国内に多かったが、世界・業界の要所要所に少数ながら影響力の大きい仲間も一定数いた。タイ在住の仲間をバンコクに訪れた事もある。そういう、世界を股に掛けた仕事に関与できるというのが若かった僕にはとても刺激的だった。この時の仕事が、僕がアメリカに渡る切っ掛けになっている。

話をRELAXに戻す。

標準規格というのは、必ずしも技術の善し悪しだけで勝者が決まるような性質のものではない。影響力のある大きな企業がどの規格を応援しているか、そういうのが多分に大きな影響を持っている。

W3Cは、HTMLやXMLといったとても影響力の大きい規格を幾つも抱えていた偉功ある標準化団体だったし、当時ブイブイ言わせていたアメリカの有名どころのテック企業はみんな参加していた。それに対抗して別な規格を提唱しようというのは、やはり中々難しい事である。

当時XMLブームが大きく盛り上がったのは、文書交換に加えて、データ交換フォーマットに使いたいというニーズを取り込んだからでもある。W3Cが作っていたスキーマ言語の規格は、後者をより色濃く反映していて、RELAXは前者を色濃く反映していた。だからXMLに何を期待するかによって、どちらが技術的に優れているかという評価もまた変わってくる。そういう根源的な決裂もあった。

RELAXは結局W3Cの規格を駆逐する事はなく、マイナーな規格に留まり、そんなこんなしている内に僕はJenkinsというCIサーバーが盛り上がってしまって、XMLからは離れた。RELAXは一夏の恋のように燃え上がって儚く散っていった。少なくとも、僕はそう思っていた。

それから20年経った今、RELAXはどうなっているんですかと村田さんに尋ねたら、健在ですよ、との事だった。データ交換をしたい人達はXMLを去ってJSONに行ってしまったので、XMLはまた文書交換に回帰している。特に、EPUBやHTMLといった文書の周辺では、当初の目論見通りW3Cのスキーマ言語を凌駕しましたよ、と。例の村田さん節で。

まさにこういうのが一徹の美しさではないか。10年、20年と続いている戦場を選べば、目先の流行り廃りに惑わされずに済み、良いものを作ればちゃんと使われるようになるという事だ。世界も捨てたもんじゃないなと思った。

EPUB


RELAXの次の村田さんの仕事は、EPUBである。EPUBの中身はXMLだから、自然な成り行きと言えよう。

当時、AmazonのKindleが一番売れていたので、それを追うAppleやGoogleといったアメリカのテック企業達がEPUBという標準規格を作ってそれを普及させようとしていた。Amazonの優位性を奪うためだ。二番手、三番手の戦略は今も昔も変わらない。

日本では、当時国内向けの別なフォーマットが主流だった。村田さんに言わせれば、「囲い込みフォーマット」。経済産業省や総務省も肩入れしていたそうだ。村田さんはこの囲い込みフォーマットは酷いなと感じ、EPUBに肩入れすることにする。

EPUBは欧米圏で作られた規格な事もあって、日本語向けには機能が足りていない部分もあった。EPUBの推進者であった欧米企業が、縦書きだのルビだの、彼らには必要ない機能にどれだけ積極的であったかというと、僕は疑問だ。しかし、EPUBを国際標準にするためには、そういう人達の意見をある程度反映しないといけないルールになっている。

そういう大きな利害関係の思惑の中に、村田さんの活躍の場が生まれる。村田さんは国際標準化での活躍の歴史が長く、世界各国からこの分野に関わっている人達とみんな知り合いである。この機能とあの機能を入れたい。そのためには、どういう議論の仕方がいいのか。誰と利害関係が一致しているのか。何を活かすために、何を諦めるか。

村田さんは、今までの国際標準化の経験を活かして、EPUBで日本語がちゃんと扱えるようにしてくれた立役者の一人である。この辺の物語が「EPUB戦記」という本にまとめられているので、ぜひ読んでほしい。

目には見えない、しかし多くの人が使うものを下から支えるものを作る。技術者の本懐ではないか。朝の満員電車に乗る。隣のサラリーマンが、スマホで本を読んでいる。あなたがその本を読めるのに、僕の仕事が一枚噛んでいるんですよ。そういう仕事がしたいなと、いつも思っている。

火事場・喧嘩場

村田さんと話していると、この人は火事場・喧嘩場が本当に大好きだな、といつも感じる。XMLの時は、悪の帝国W3Cが敵だった。EPUBの敵は国内向けの囲い込みフォーマット。

「敵がいない仕事などろくな仕事ではない」というのが座右の銘だという村田さんは、敵のことを語ると本当に楽しそうである。敵に勝つ方法を語る村田さんは更にもっと楽しそうになる。喧嘩というと、何か負の情念やネガティブな雰囲気を想像するかもしれないが、村田さんに掛かると、とてもカラッとワクワクする感じになるのである。こっちまでつられて喧嘩に参加したくなってしまう。

これが、村田さんが人々を運動に巻き込む超能力の一つだ。僕も私も悪をやっつけたい、しかもとても楽しそうときた。これは勝てる戦いだ、そのためにここを手伝ってくれ、そう言われて、拒める人などいるだろうか。みんなどんどんシンパにされていくのである。

僕はずっと争いごとを好まないで生きてきた。誰かのことを悪く思う事が出来ない。だから、競争も苦手だし、コツコツやっていって結果的に勝っている、というのが好きである。OracleとJenkinsで揉めた時だって、結局Oracleを悪者扱いは出来なかった。

でも、喧嘩が大好きな村田さんを見ていると、争いごとを利用する力、うまく敵を作る力が、人々を動かす物語を作るのだなと感じる。組織のリーダーとしてはとても大事な力。どうやったらそういう力を鍛えられるのか、最近考えている。

標準化の仕事の醍醐味


標準化の場に関わっている技術者達は、標準化組織の中の作業部会で、一定のルールに基づいて議論をし、仕様を作っていく。参加している人は、それぞれの所属企業や、国を背負って立っている。背負っているものの利益を大事にするのも、仕事のうちだ。当然のことだ。

しかし、それだけではない。彼らは組織の枠を越えて世界を良くするという事をとても真剣に考えている。往々にして、標準化の場で説得力を持つのは、そういう言説である。そこには多分に個人的な情熱がある。

だから、制定した規格をもって、自分の所属している企業や国を動かしていく、という側面もあるのだ。企業とその技術者、どちらが主でどちらが従か。一方的な関係ではないのだ。

そして、うまく利害を調整して合意できて、良い規格が出来れば、複数の企業や国が参加しているという事が、その規格に大きな力を与える。この辺が、標準化の仕事のやりがいである。僕自身も一時期、OASIS、W3C、Java Community Processといった標準化組織に関わっていたことがあるので、よく分かる。

僕にとっては、村田さんは現代の坂本龍馬である。一人の技術者、いや志士が、世界を良くするという情熱の力を武器に、藩ならぬ会社や国の立場を代弁し、時に自分の藩を動かし、他の志士達と丁々発止、うまくいくと明治維新が起こってしまうという世界。21世紀にもこんな仕事が出来るのである。カッコ良すぎる。

村田さんは所属企業も割と転々とされていて、大学に籍を置いたり、IBMの研究所に所属していた事もあったり。自分の信じる世界を作るために、必要に応じて組織を選んでいるのである。坂本龍馬も土佐藩出身だが、脱藩して浪人となっているのである。全く同じ。

坂本龍馬は明治維新の道半ばで殺されてしまった。別に大金持ちになったわけでもない。でも、後の世に残って人々の憧れや想像を掻き立てるのは、やっぱり岩崎弥太郎ではなく坂本龍馬である。

この記事を書くに当たって、村田さんに写真を送ってくださいと頼んだら、冒頭の写真が送られてきた。
拡大して見てみると、イタズラで坂本龍馬に扮した村田さんの顔が入っている。この記事がよほど恥ずかしかったに違いない。
そう、村田さんはこういうお茶目な人でもあった。

僕の憧れと敬意の対象、生ける現代の坂本龍馬、それが村田さんである。ちょっと後光も差しているかもしれない。


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